「なんとなくの善意」を超えて。見沼の地で考える、人と自然の本当の共生

スーパーの野菜売り場で「有機」や「オーガニック」という言葉を見かけると、私たちは無意識に「環境や体に良さそう」と安心感を抱く。しかし、その言葉の裏側には、現代社会が抱える複雑な矛盾が隠されている。

たとえば、農作物を「有機」と名乗るには、2001年に施行された厳格な「有機JAS認証」を取得しなければならない。取得には多大なコストと煩雑な事務作業が伴うため、実際には農薬や化学肥料を使わずに心を込めて育てていても、制度の壁に阻まれ「有機」と名乗れない農家は数多く存在する。また、農業と福祉を連携させる「農福連携」も素晴らしい理念だが、いざ実践しようとすると、バリアフリーの専用トイレや休憩スペースの設置など、小規模農家には到底クリアできない施設基準が立ちはだかる。

最も象徴的な矛盾は、近年社会問題となった「漬物ショック」だろう。2018年の食品衛生法改正により、国際的な食品衛生管理基準「HACCP(ハサップ)」が義務化され、2024年5月末をもって猶予期間が終了した。消費者の安全を守るという目的は正しい。しかしその結果、厳格な専用加工施設を整備できない高齢者たちが、直売所で長年愛されてきた「おばあちゃんの漬物」の製造を諦めざるを得なくなった。

消費者の安全や権利を守るためのルールが、結果として、本来守りたかったはずの多様な食文化や、志ある小規模な生産者を排除してしまう。世の中には、こうした「やりたいこと」と「規制」の矛盾が溢れている。

そしてこの矛盾は、「環境保護」というテーマにおいてもまったく同じ構造を持っている。

私たちはともすれば、「自然は手つかずのまま守るべきだ」と考えがちだ。しかし、日本の原風景である「里山」は、決して手つかずの自然ではない。生態学の分野では「二次的自然」と呼ばれ、人が薪を採り、落ち葉を掻いて堆肥にし、適度に手を入れ続けてきたからこそ、地面まで光が届き、多様な生き物が棲む豊かな環境が保たれてきた。「自然に手を入れるのは悪」という薄っぺらい理想論で人が森から離れた結果、里山は放置されて竹林や暗い森と化し、かえって生態系が壊れてしまっているのが現状なのだ。

しかし近年、ようやく国や世界もその事実に気づき始めた。 2022年12月、国連の会議(COP15)において、世界の生物多様性を回復軌道に乗せる「ネイチャーポジティブ」という目標が採択された。これを受け、日本の環境省も2023年から、人の手で守られてきた里山や企業緑地などを「自然共生サイト」として正式に認定・評価する制度を始めている。

自然を人間から切り離してガラスケースに閉じ込めるのではなく、人が自然に寄り添い、適切に管理しながら共に生きていく。それは「人間のためだけの自然利用」でも、「自然だけを特別扱いする保護」でもない。人と自然がお互いを生かし合う未来に向けた視点だ。

世の中に溢れる「なんとなく良さそうな取り組み」を否定するつもりはない。しかし、表面的な言葉や制度に流されるだけでは、本質的な課題は解決しない。なんとなくの善意ではなく、泥臭く事実を見つめ、「本当に良いこと」をみんなで実践していく必要がある。

見沼田んぼを歩くと、平らな農地の向こうに木々が生い茂る斜面が現れる。 この斜面は、江戸時代に人工的につくられたものではなく、数万年前の氷期に削り出された巨大な地形のなごりだと考えるのが妥当だ。先人たちは農地を開拓する際、この斜面を無理に平らに削るのではなく、落ち葉を堆肥にし、木をエネルギーとして利用する「暮らしに役立つ林」としてそのまま残すほうが合理的だと判断したのだろう。

つまり、この斜面林は単なる手つかずの自然ではない。数万年前の地形という「器」を土台とし、400年にわたって人々が資源として使い、自然と折り合いをつけてきたからこそ、壊されることなく今に守られてきたのだ。現在、この見沼の斜面林もまた、環境省の「自然共生サイト」に認定されている。

だからこそ、私たち「チーム見沼」は、この場所で過去の営みから学び、人と自然が真の意味で共生する未来へと繋がる活動に、これからも真摯に向き合っていきたい。