
見沼から、未来の暮らしをつくる。
future
東京都心からわずか30km。ここに、山手線内側と同等サイズの広大な自然・農業空間「見沼」があります。見沼のスゴいところは、約400年前の江戸時代に100万人とも言われる巨大都市で暮らす人々の暮らしを支えるために整備されたエコシステムが、今もなお多くの人の手によって残されていること。世界がいま必死に探している「都市と自然が共生する持続可能なモデル」。その完璧な完成形は、すでに400年前のこの場所で稼働していました。
この歴史ある農地を舞台に、「ネイチャーポジティブ」や、農業を通じて土壌と生態系を再生する「リジェネラティブ農業」の考え方を軸に、先人たちが築いたロマンあふれる仕組みを21世紀のビジネスと暮らしの価値観でアップデートします。
現代の都市は、遠く海外や地方から大量の食料や資源を運び込み、大量のゴミを外に出す「一方向の依存関係」で成り立っています。しかし、気候変動や世界情勢の緊迫によって、その供給網(サプライチェーン)の脆さが露呈している中、「都市と周辺農地のセット」が今、世界で求められているのです。
企業が利益を生み出すこと、人が商品を買うこと、そして自然が豊かになること。これらを切り離さず、江戸時代のように、東京という大都市の経済力を、見沼の自然を回復させる力へと変換していく。
環境課題への具体的な一手を模索し、新しい事業価値を創出したい東京の企業の方へ。 そして、毎日の「食べる・買う」という選択を、未来の豊かな自然につなげたいみなさんへ。
ビジネスが成長し、農業が続き、自然がよみがえる。 見沼で、そんな新しい循環を一緒につくりませんか。
MINUMA ⇄ TOKYO
見沼は、「自然を守るために残された場所」だったわけではありません。 「自然にやさしい農業」を増やしたり、「都市型農業」をつくるだけでもありません。 ここには、都市の成長とともに姿を変えながら守ってきた、400年近い地域の歴史があります。
先人たちが守り続けたこの場所を、最新事例として未来へつなぎたい。 企業の経済活動と地域の暮らし。食べることと育てること。商品を買うことと自然を育てること。人が楽しむことと生態系が豊かになること。 これらを別々の活動として終わらせてはならないと考えています。
「買う」「食べる」「働く」「遊ぶ」「学ぶ」ことが、そのまま未来の地域をつくっていく。 おいしいから選ぶ。新鮮だから選ぶ。その先に、「この場所の自然を残したい」「この土地の未来に関わりたい」という明確な思想を提示する。 それは単なる消費ではなく、その土地の物語や未来まで含めて味わうことです。 そこにこれからの消費のひとつの形があると信じて、未来の暮らしをつくるために、もう一度その関係をデザインしていければと思います。
これまで環境問題は、「人間の活動を制限して自然を保護する」という文脈で語られがちでした。しかし、いま世界で求められている「ネイチャーポジティブ」は、失われた自然を回復させ、生態系をプラスの方向へ転換していく、よりダイナミックなアプローチです。
もし、企業が事業に投資することが、森や水や土を豊かにするなら。人々が日々の商品を選ぶことが、自然の再生に直結するなら。
私たちは、東京という大都市の経済活動(消費や投資)と、見沼の広大な自然を直接つなぎ直します。自然を保護するために経済と切り離すのではなく、正しく経済を回すことで自然環境が豊かになる。そして、豊かになった自然資本が、暮らしや産業の新たな価値を生み出していく。そんな新しい共生のあり方をデザインします。
リジェネラティブ農業(環境再生型農業)とは、単に農薬や化学肥料を減らすだけでなく、農業を営むこと自体が自然環境を「より豊かにしていく」という世界的な潮流です。
見沼には、巨大都市・江戸を支えるために形成され、先人たちの努力によって400年もの間守り抜かれてきた歴史があります。通常、環境再生の取り組みは荒れ地からの「ゼロスタート」になりますが、見沼は違います。すでに土台ができているこの土地で「再開」するだけで、最先端の自然再生が実現できるのです。
かつての仕組みを現代版にアップデートし、東京の消費がこの農業を支え、見沼の自然がさらに豊かになっていく。歴史のロマンを味わいながら、経済的な利益と自然環境の回復を両立させる大きな鍵が、このアプローチに詰まっています。
1868年、明治政府によって「江戸」は「東京(東の京)」へと名を変えました。城下町は近代国家の首都となり、鉄道が走り、ビルが立ち並ぶ世界有数の大都市へと変貌を遂げていきます。
その一方で、東京からわずか30km北に位置する場所は、今も変わらず「見沼」と呼ばれ続けています。
しかし、見沼がずっと「変わらなかった」わけではありません。かつて本当に大きな沼だったこの地は、江戸時代に農業用の灌漑(かんがい)用水を蓄える巨大なため池(見沼溜井)となり、やがて江戸の人口が100万人を突破し、巨大都市を支える食料の確保が急務となったため干拓され、見沼代用水の完成とともに広大な農地へと姿を変えました。ため池をなくすと周囲の田畑に水が行き渡らなくなってしまうため、その「代わり」として、利根川から約80kmに及ぶ新しい水路「見沼代用水(みぬまだいようすい)」を引きました。つまり、新しい水路(見沼代用水)によって周辺の農地への水やりをカバーしつつ、巨大なため池の底まで干拓して新たな農地に変えるという、江戸の食料問題を一気に解決する大改造だったというわけです。見沼はこうして、沼からため池へ、そして田畑や雑木林へ。人々の営みとともに何度もその形を変えてきたのです。
さいたま新都心の高層ビル群からわずか数キロの場所に、約1,260ヘクタールにも及ぶ田園風景が広がっているのは、決して偶然の産物ではありません。見沼は、「手つかずの昔の自然」として残されたわけではないのです。
いま世界では、人間の活動を制限して自然を保護するだけでなく、農業や経済活動を通じて生態系をより豊かにしていく「ネイチャーポジティブ」や「リジェネラティブ農業」の考え方が求められています。見沼の風景は、まさにその先駆けと言えるでしょう。人が土地に手を入れ、土を耕し続けることで、結果的に多様な生き物が棲む豊かな生態系が保たれてきたのです。
名前が残ったから、土地が残ったのではありません。人がその土地を使い続け、自然と共生する営みを止めなかったからこそ、名前もまた残ったのでしょう。
ここにあるのは、昔のままの風景ではありません。都市の成長とともに姿を変えながら、昔からずっと脈々と続いている「現在の見沼」なのです。
PLANS & STORIES

週末の朝、川面を渡る風を感じながら、水辺の生き物たちの痕跡を探す。もし、この「生態系ツアー」と「ご…

オフィスの会議室で、一枚のカードをめくる。そこに描かれた「昆虫の羽」や「植物の種」の精巧な仕組みが…

オフィスの生ゴミや、休日のボランティアで集めた森の落ち葉が、見沼の豊かな「土」をつくる。ここまでは…

週末、木漏れ日が差し込む森の中で、ふかふかの落ち葉をサクサクと踏みしめる。もし、この心地よい非日常…
