見沼の斜面林の歴史について。数万年の地形と400年の営みが交差する場所。

見沼田んぼを歩くと、平らな農地の向こうに突然、木々が生い茂る斜面が現れます。

1629年に伊奈忠治が巨大な貯水池「見沼溜井」をつくり、その約100年後の1728年に井澤弥惣兵衛が干拓を行って見沼代用水を引き、広大な農地(見沼田んぼ)へとつくり変えました。少なくとも400年前から、人間の手によって姿を変えてきたこの土地で、なぜこの斜面林だけが今も残っているのでしょうか。

結論から言えば、この斜面は江戸時代に人が土を盛ってつくったものではありません。さいたま市周辺に広がる「大宮台地」と、芝川などが流れる「低地」。その境界となる谷は、最終氷期(約2万年前)やそれ以前の河川の浸食によって削り出された、はるか昔の地形です。つまり、「江戸時代にできた斜面」ではなく、「数万年前からある巨大な地形の上に、江戸時代以降の人の暮らしが重なった」と考えるのが自然です。

農地をつくる際、水が集まる低地は田んぼに、少し高い場所は畑や集落に。そして、その間の斜面は無理に平らに削るよりも、そのまま「暮らしに役立つ林」として利用するほうが合理的だったのです。

さいたま市の調査でも確認されている通り、見沼の斜面林にはコナラなどの落葉樹が多く残っています。秋に落ちた葉は集められて田畑の肥料(堆肥)となり、木材は薪や炭として生活のエネルギー源になりました。また、シラカシなどの常緑樹は、冬の冷たい風から家屋を守る「屋敷林」として機能しました。

見沼の景観は、林の恵みが農地の土壌を育むという「資源の循環」として連動していたのです。これはまさに、農業を通じて土壌と生態系を再生していく「リジェネラティブ農業」の原点とも言える見事なシステムです。

もちろん、今そこに生えている木が「400年前からずっと立っている」わけではありません。木は枯れ、世代交代を繰り返します。しかし、地形という「器」は残り、人が自然を資源として利用しながら共生してきた「歴史」は途切れることなく続いてきました。

現在、埼玉県が「緑のトラスト保全第1号地」として守る見沼の斜面林は、環境省の「自然共生サイト」にも正式認定されています。かつて人間の生活と農業支えた「農用林」が、今では多様な生き物を育む「ネイチャーポジティブ」の重要な拠点として国から評価を受けているのです。

見沼の斜面林。それは単なる緑の壁ではありません。数万年という地球の地形と、400年にわたる人間の営みが幾重にも折り重なってできた、生きた歴史のモニュメントなのです。