Tokyo

東京と循環

循環都市・江戸は、
なぜ自然から遠ざかったのか。

かつて江戸は、人口100万人ともいわれる世界有数の大都市でした。

これほど多くの人々が暮らしながら、都市と周辺の農村は、食料や燃料、肥料などの資源をやり取りし、互いの暮らしを支え合っていました。

江戸湾で獲れる魚介類、近郊の農村で育てられる野菜、武蔵野の雑木林から得られる薪。そして、都市で生まれたし尿や灰は、農業に必要な資源として再び農村へと運ばれていきました。

都市が食料を消費し、その暮らしから生まれた資源が、再び農村の生産を支える。現代の私たちが「サーキュラーエコノミー(循環経済)」と呼ぶ考え方に通じる仕組みが、江戸にはすでに存在していました。

もちろん、江戸が完全な循環社会だったわけではありません。全国から大量の物資を集め、森林や水資源を利用し、自然環境を改変しながら発展した都市でもあります。それでも、都市の消費と農村の生産が、経済的な価値を持つ資源のやり取りによって結びついていたことは、現代から見ても注目すべき特徴です。

そして、その関係を象徴する場所の一つが、現在の埼玉県に広がる見沼でした。1629年、見沼には農業用水を蓄えるための大きなため池「見沼溜井」がつくられました。その約100年後、1727年に見沼代用水の開削が始まり、翌1728年には用水路が完成。ため池は広大な農地へと姿を変えました。さらに1731年には、見沼代用水と芝川を結ぶ「見沼通船堀」が開通します。見沼からは米などの農産物が江戸へ運ばれ、江戸からは肥料や日用品などが運び込まれました。見沼は、江戸の食料を生産する農地であると同時に、都市と農村が物資を交換する、経済の循環を担う場所でもあったのです。

しかし、時代は大きく変わります。

1868年、江戸は東京へと名を変えました。明治以降、日本の近代化とともに、鉄道や蒸気船による輸送網が発達していきます。1872年には新橋と横浜の間に日本初の鉄道が開通し、その後も交通網は全国へと広がりました。都市は、近くの農村だけでなく、より遠い地域から大量の食料や資源を調達できるようになります。それは、食料供給を安定させ、人々の暮らしを豊かにする大きな進歩でした。しかし同時に、都市と近郊農村の関係を変えるきっかけにもなりました。

一方で、都市の周辺では住宅地や工業用地の開発が進み、多くの農地や雑木林が姿を変えていきます。

都市が自然から遠ざかったというのは、自然を必要としなくなったという意味ではありません。むしろ、より多くの自然資源に支えられながら、その関係が見えにくくなったということです。

いま世界では、資源を使い捨てにしない「サーキュラーエコノミー」や、自然の損失を食い止め、回復へと向かわせる「ネイチャーポジティブ」が求められています。
私たちが新しい未来の仕組みを模索する中で、江戸の歴史は、一つの重要な問いを投げかけ続けています。

The True Face of Tokyo

水と緑を飲み干す
巨大都市の東京について

現代の東京都の食料自給率(カロリーベース)は、令和4年度のデータで実質ほぼ「0%(0.47%)」です。約1,400万人の巨大な胃袋を満たすため、東京は日本全国、そして海を越えて世界中から食料をかき集める「超消費都市」へと変貌しました。

この変化を捉える上で重要なのが「バイオリージョナリズム(生命地域主義)」という視点です。これは、人為的な行政区画ではなく、川の流域や生態系のまとまりを生活の基本単位として考える思想です。かつての江戸は、関東平野という自然の許容量の範囲内で水や食料を循環させて暮らしていました。しかし現代の東京は、地域の限界をはるかに超え、他国の自然環境から資源を「見えない形」で吸い上げています。

その深刻な環境負荷を示すのが、以下の2つの指標です。

フード・マイレージ

食料の輸送量(トン)に輸送距離(キロメートル)を掛け合わせた「フード・マイレージ」という指標があります。数値が大きいほど輸送のために多くの化石燃料が使われ、二酸化炭素(CO2)が多く排出されていることを意味します。農林水産省のデータによれば、日本のフード・マイレージは年間約9,000億トン・キロメートルに達します。これは人口が日本の2倍以上あるアメリカ(約2,958億)の約3倍、イギリス(約1,879億)やドイツ(約1,717億)の約5倍という突出した数字です。食料自給率が低く、アメリカやオーストラリアなど遠方の国から重量のある穀物や肉類を大量に運んでいるため、私たちは「地球を半周するほどの化石燃料を燃やして届けられたもの」を毎日食べているのです。

バーチャルウォーター

「バーチャルウォーター(仮想水)」とは、輸入した食料を「もし自国で生産したとしたら、どれくらいの水が必要だったか」と見積もった水のことです。例えば1kgを作るのに、小麦は約2,100リットル、豚肉は約6,000リットル、牛肉に至っては約20,600リットル(お風呂約100杯分)もの水を消費します。現代の日本は、年間約800億立方メートル(国内の農業用水を上回る規模)もの仮想水を海外から輸入しています。私たちが東京で安く牛肉を食べる裏側で、遠く離れた海外の川が枯れたり、地下水が無理に汲み上げられたりする環境破壊(水ストレス)が起きているのです。都市の消費活動を支えるために必要な土地と水の面積を「エコロジカル・フットプリント」と呼びますが、現代の東京を維持するには、実際の面積の何百倍もの地球の資源が必要になっています。

かつての都市は
自然と共に生きていた

  • 1590|江戸の時代が始まる 徳川家康が江戸城に入城。当時は広大な湿地帯で農地も少なく、人が住める都市にするための「大規模な土木工事・利水開発」が急務となる。
  • 1603|江戸幕府が成立 日本の政治・経済の中心となったことで全国から人が殺到。爆発的に増える人口に対し、都市近郊での「主食(米)と水」の圧倒的不足を解消することが幕府最優先の至上命題となる。
  • 1629|見沼溜井(ためい)がつくられる 急増する江戸の胃袋を満たすため、関東郡代・伊奈忠治が「八丁堤」を築き、芝川をせき止めて巨大な人造湖「見沼溜井」を造成。干ばつに悩む周辺農地に安定した水を行き渡らせ、新田開発(米の増産)と利根川・荒川周辺の治水を同時に達成するために作られた。
  • 1651年-1700|国内海上物流ネットワークの確立 都市の拡大により、野菜や薪以外の物資(酒・油・醤油など)が近郊農村の供給能力を超越。関東以外の生産地から物資を安く大量に引き込むため、「菱垣廻船」や「樽廻船」による大坂(関西)からの広域海上物流網が発達する。
  • 1721|江戸の人口が100万人を突破 参勤交代などで人口が膨れ上がり、世界最大級の100万人都市へ。既存の水利・農地網では食料供給が限界を迎え、都市全体の供給体制の根本的な改革が避けられなくなる。
  • 1727|見沼の大改造(新田開発) 8代将軍・徳川吉宗による「享保の改革」の一環として着手。幕府の財政難と食料不足を解決するため、水利技師・井澤弥惣兵衛為永が見沼溜井の水(湖)をすべて抜き、干拓して新たな巨大米生産地(新田)へと生まれ変わらせた。
  • 1728|見沼代用水が完成 見沼ため池を干拓して農地にしたため、周辺農家が使う農業用水が消滅。その代わりの水源(代わりの用水)として、遠く利根川から約80kmに及ぶ「見沼代用水」をわずか半年の突貫工事で引き込み、広大な「見沼田んぼ(約1,260ha)」の基盤を完成させた。
  • 1731|見沼通船堀が開通 用水路と河川(芝川)の約3mの水位差を、2つの水門(閘門)で解消する「見沼通船堀」を建設。陸路よりも圧倒的に大量・高速に米や野菜を江戸へ運び入れ、その「帰り舟」で江戸の町で出た膨大な人糞(下肥)や灰を農村へ運んで肥料にする、都市と農村の双方向循環システムを完結させた。
  • 1868|江戸から東京へ 明治維新。西洋化と都市化が加速する中、見沼は首都・東京の巨大な胃袋を至近距離で支える主要な「近郊農業拠点」としての役割を担い続ける。
  • 1872|鉄道網開通 日本初の鉄道が開通。天候や水位に左右される水運(舟)から、全国の農産物を高速・安定的に東京へ集める「陸上物流」への大転換が始まる。
  • 1919|都市の排泄物が「資源」から「廃棄物」へ 都市人口の急増や近郊農地の減少、化学肥料の普及によって、江戸時代から続いた下肥の需要と供給のバランスが崩れ始める。東京市は1919年にし尿の市営汲み取りに着手し、1921年には市営事業として本格化。かつて農家がお金を払って買い取っていた貴重な肥料が、都市がお金をかけて収集・処理する対象へと変わり始めた。都市と農村の資源循環が、行政による衛生管理へと移行していく大きな転換点となった。なお、1919年を境に下肥の農業利用が終わったわけではありません。市営汲み取りが広がった後も、東京のし尿は埼玉県や千葉県などの農村へ運ばれ、肥料として利用されていました。
  • 1930|し尿処理の自治体義務化 自治体によるし尿の収集・処分が義務化されました。これは「肥料として売買される資源」から「行政が責任を持って処理するもの」への制度的な転換を示す出来事です。
  • 1931|見沼通船(舟運)廃止 東北本線などの鉄道網やトラック輸送が発達。スピードで劣る見沼の舟運は200年の歴史に幕を閉じ、江戸時代から続いた水路を通じた直接的な資源循環が物理的に終焉を迎える。
  • 1950年代|化学肥料の普及と農業の転換 戦後、化学肥料や農業機械の普及によって農業の生産性が向上。都市から運ばれる下肥への依存は低下し、都市と農村を結んでいた有機資源の循環は、従来とは異なる仕組みへと移行していった。
  • 1958|狩野川台風と治水機能の再評価 東京周辺の急速な宅地化により雨水の遊水地が激減。大水害の際に見沼田んぼが大量の洪水を受け止める「天然のバッファー(遊水地)」として機能し、食料生産だけでなく「防災」面での価値が脚光を浴びる。
  • 1995|見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針 埼玉県が見沼田圃の土地利用に関する新たな基本方針を策定。農地の保全に加え、都市住民との交流や自然環境の活用など、将来にわたって見沼を維持するための考え方が整理された。
  • 1998|見沼田圃公有地化推進事業の開始 見沼田圃の荒廃や開発を防ぐため、埼玉県による土地の買い取りや借り受けを通じた保全の取り組みが進む。規制するだけでなく、土地を公的に確保して農地や緑地を守る仕組みが整えられていった。。
  • 1960年代|モータリゼーションと東京港近代化 高速道路網と東京港のコンテナ化が完了。海外や遠方から安く大量に食料を輸入する体制が完成し、東京と近郊農村の直接的な結びつきが途絶え、一方通行の大量消費社会へ突入する。
  • 1965|「見沼三原則」制定 高度経済成長に伴う宅地化の波が見沼に押し寄せる。埼玉県が強い建築規制を課すことで開発を阻止し、首都圏30km圏内に1,260haもの貴重な農地と自然を奇跡的に死守した。
  • 1970年代|見沼田んぼ横断道路計画とコールドチェーン化 首都高速道路などの建設計画に対し、農家や市民が大規模な反対運動を展開。同時に保冷輸送(コールドチェーン)の発達で全国から野菜が届くようになり、見沼の「近郊農業としての絶対的優位性」が薄れ始める。
  • 1980〜1990年代|グローバル貿易拡大と耕作放棄地増加 WTO発足や輸入自由化により安価な外国産食料が大量流入。見沼の農業は価格競争と農家の高齢化に晒され、「東京の胃袋を支える」という本来の役割を奪われ荒廃が進む。
  • 1995|「保全」から「活用・共生」への転換 開発を防ぐだけの規制(保全)では農業の後継者が育たないため、埼玉県は都市住民との交流や農業体験、環境教育の場として見沼を活用する方針へと舵を切る。
  • 2001|さいたま市発足と就農支援 自治体合併で「さいたま市」が誕生し、見沼田んぼが一元管理可能に。新規就農者の育成や市民農園の拡大を通じ、都市住民が直接農地に携わる新しい形の保全が本格化する。
  • 2006|首都高速埼玉新都心線の開通 30年に及ぶ議論を経て開通。見沼の生態系や景観を崩さないよう半地下(掘割)構造が採用され、見沼を完全に貫通する東側延伸は見送られて「見沼出入口」止まりとされた。
  • 2019|世界かんがい施設遺産登録 見沼代用水という300年前の画期的な水路技術が世界的に認められる。同年、国連IPBESが生態系危機の報告を出し、見沼のような自然共生型の土地の重要性が再認識される。
  • 2020|自然資本リスク提示 世界経済フォーラムが世界のGDPの半分以上が自然に依存していると警告。食料生産やビジネスにおいて「自然を壊さない・回復させる」発想への転換が世界の潮流となる。
  • 2021|「みどりの食料システム戦略」開始 農林水産省が有機農業の拡大やCO2削減を目指す方針を発表。持続可能な農業への転換において、江戸時代からの循環の歴史を持つ見沼が注目され始める。
  • 2022|「30by30」目標と「TNFD」始動 2030年までに陸と海の30%以上を保全する世界目標が合意され、企業にも自然保護への投資・開示が求められるようになる。
  • 2023|「自然共生サイト」制度開始 国が「保護区以外の優れた自然空間」を公的に認定する制度を開始。企業の投資が見沼のような保全活動に届く仕組みが整う。
  • 2024|見沼が「自然共生サイト」に認定 「見沼田圃周辺斜面林」が環境省から正式認定。かつて江戸を支えた見沼が、現代のネイチャーポジティブ(自然回復)を実証する国レベルの重要拠点となる。
  • 2025|さいたま市「オーガニックビレッジ宣言」 見沼田んぼを核として有機農業を推進。輸入や農薬に頼り切った食文化から脱却し、身近な地域で持続可能な食糧基盤を作る試みが本格化する。
  • 2025|新都心線・東側延伸議論再燃 渋滞解消や物流効率化を求める声から延伸案が再浮上。しかし、1970年代から守られてきた見沼の生態系や景観を破綻させないための多角的な慎重論と議論が今なお続いている。
  • 2027|見沼代用水開削300周年 1727年に始まった見沼代用水の開削から300年。江戸の食料生産を支えた大規模な水利事業を振り返り、見沼と東京の新しい資源循環を考える節目となる。
  • 2028|見沼代用水完成300周年 見沼代用水の完成と見沼溜井の干拓から300年。水を蓄える場所から農地へと転換した見沼の歴史を、自然と人間の関係を考え直す機会へとつなげる。。
  • 2030|ネイチャーポジティブ達成目標(国際目標) 世界の自然損失を止める年。見沼で稼働した「都市の消費が近郊の自然を回復させる循環モデル」が、世界中の都市近郊における最先端の食糧・生態系モデルとして評価される。
  • 2031|見沼通船堀開通300周年 江戸と見沼を結んだ舟運の歴史から300年。農産物や肥料が行き交った水路の記憶を、現代の都市と農村の新しい経済循環へとつなぐ節目となる。
  • 2035|日本の温室効果ガス60%削減目標 日本政府は2035年度までに、温室効果ガス排出量を2013年度比で60%削減する目標を設定。企業の脱炭素化だけでなく、農業における土壌管理や有機資源の活用、自然を利用した気候変動対策の重要性も高まる。都市と農村が協力し、環境負荷の削減と地域経済を両立させる仕組みが求められる。
  • 2040|環境負荷を抑える次世代農業技術の確立目標 農林水産省は「みどりの食料システム戦略」で、2040年までに次世代有機農業に関する技術を確立する目標を掲げる。農業機械の電化・水素化などの技術開発も進め、農業の生産性と環境負荷低減の両立を目指す。見沼のような都市近郊農地でも、伝統的な農業と新しい技術を組み合わせる可能性が広がる。
  • 2040|日本の温室効果ガス73%削減目標 日本政府は2040年度までに、温室効果ガス排出量を2013年度比で73%削減する目標を設定。脱炭素と経済成長を両立させる「GX2040ビジョン」のもと、産業や地域社会の転換が進められる。自然環境の保全に加え、地域資源を循環させる新しい事業や産業の創出も重要な課題となる。
  • 2050|有機農業を国内農地の25%へ 農林水産省は、2050年までに有機農業の取組面積を国内の耕地面積の25%、約100万ヘクタールに拡大する目標を掲げる。農業の生産性を維持しながら、化学農薬や化学肥料への依存を減らし、土壌や生物多様性に配慮した食料生産への転換を目指す。都市近郊に広大な農地を持つ見沼にとっても、農業の将来を考える重要な目標となる。
  • 2050|資源循環型の食料生産システム実現目標 内閣府のムーンショット型研究開発制度では、2050年までに微生物や昆虫などの生物機能を活用した、完全資源循環型の食料生産システムの開発を目指している。かつて江戸と見沼を結んだ農産物と肥料の循環を、現代の科学技術によって新しい形へ発展させる可能性を示す国家的な研究目標となっている。
  • 2050|「自然と共生する世界」の実現(国際長期ビジョン) 国連および日本政府が掲げる2050年ビジョン「自然と共生する世界(Living in Harmony with Nature)」の達成年。人間の経済・暮らし・食料生産が自然環境を豊かにし続ける持続可能な社会が標準となり、400年前に江戸と見沼が築いた循環の思想が、世界の未来の姿となる。

江戸のネイチャーポジティブは、
復活できるか?

COLUMN

私たちは江戸時代の生活に戻るべきなのでしょうか?

現実問題として、それは困難です。東京の膨大な人口を支え、廃棄物をすべて肥料として還元できるだけの農地は、もはや周辺には残っていません。

しかし、都市(江戸)と農地(見沼)が見事にペアになり、資源を無駄なく循環させていた社会システムは、決して過去の遺物ではありません。それどころか、行き過ぎたグローバル化による環境破壊に直面している現代において、これからの地球を救う「最先端のモデル」と言えます。

実は、かつて江戸の胃袋と環境を支えた「見沼」は、今もコンクリートの下に消え去ったわけではありません。首都圏の急激な都市化や開発の荒波にさらされながらも、地域の人々の手によって奇跡的に守られ、現在も「見沼田圃(みぬまたんぼ)」として約1,260ヘクタールにも及ぶ広大な緑地空間・農地が広がっています。

見沼は400年の時を耐え抜き、私たちがもう一度その価値に気づくのを静かに待ち続けているのです。つまり、私たちがその気になれば、今すぐにでも「江戸と見沼の美しい関係」を現代に復活させることができます。

「消費が自然を育む」という江戸の思想そのものを、現代のグローバルな物流網にアップデートすることは可能です。そのカギとなるのが、私たちの「買う」という行為です。

東京産や近郊の農産物を積極的に選ぶ「地産地消」があります。これは輸送距離(フード・マイレージ)を削り、CO2排出を直接的に減らしながら、地域の緑を守る立派な環境保護です。週末に見沼の農産物直売所へ足を運んだり、地元の野菜を買って食べることは、今日からできる「見沼との関係復活」の第一歩になります。

そして、世界中から届く商品については、「どこで、どのように作られたか」を基準に選ぶことが、遠く離れた自然を守ることにつながります。農業を営むほどに土壌が回復し、生物多様性が豊かになる「リジェネラティブ(環境再生型)農業」による商品を選ぶこと。あるいは、持続可能な漁業や林業などのエコラベル認証を受けた製品を購入することです。

東京の消費者が「自然を回復させる仕組みで作られた商品」を選ぶだけで、世界中の生産地の環境保全に直接資金を投じることができるということです。

物理的なシステムを完全に「江戸時代に戻す」のではなく、見沼から学び、江戸の循環の思想を「グローバルに広げる」。 400年耐えて待ち続けてくれた見沼との暮らしをもう一度始めながら、毎日の買い物という一番身近な選択を通じて、世界規模のネイチャーポジティブに貢献していく。

都市と自然が対になる最先端の社会へのヒントは、私たちのすぐそばにあり続けています。これこそが、世界最大の消費都市・東京に住む私たちだからこそできる、新しい時代の環境保護ではないでしょうか。

PLANS & STORIES

都市の営みが、自然を豊かにする。

江戸から続く農と自然を受け継ぐ見沼から、
新しい循環とネイチャーポジティブな未来をつくります。